今の日本にこそ必要なのが「サッチャリズム」

投稿者: シバタ (2002 年 03 月 11 日 19:16:30)
回答先: 世渡りマニュアルと本物の教養 / 投稿者: シバタ (2002 年 03 月 10 日 14:29:01)

> 渡部昇一 上智大学名誉教授 月刊正論 アルバムの中に(80)

↑で、渡部氏は、「後年、私はジャーナリズムの世界で猖獗を極めるマルクス主義と、言葉による干戈を幾度も交えることになり、いささか注目を集める存在となったが、それは決しで゛本職″ではない。」と言っていますが、同氏のマルクス主義との対決の中で、印象に残っているのは、同氏が、英国のサッチャー革命を強く支持した代表的な人物だったことです。10数年前に同氏が紹介した「サッチャー語録」を今改めて読んでみると、30年遅れでイギリス病(老大国病)に感染し、ニッチもサッチも行かなくなっている今の日本にとっての教訓が読み取れるような気がします。

サッチャー語録

「昔は少なくとも労働党は理想を掲げた政党であった。今日、労働党は、その場しのぎ、貪欲、特権の代弁者となり、イギリス社会の半分を他の半分と喧嘩させるような政策を支持している。その根本原因の一つは嫉妬である。この嫉妬の精神は家系やら相続した遺産によって特権的に恵まれた人々に向けられるのみならず、自分の能力や努力で成功した人々に対しても向けられているのである。自分自身や自分の家庭を向上させようという人々に対して労働党は偏見を持っている。中小企業者や自家営業者のような普通の人々が栄えることはけしからんというのである。集団的に豊かになるか、みんな貧乏になるかどちらかにせよ、ということなのだ。質の向上、自立、創造性、天才、あらゆる形の富、生活の多様性、・・・・こういったことに労働党はすべて反対なのである。こんな社会は進歩できるわけがない。我々の文明は、何世代にもわたって、卓越しようという意志のある人々によって築かれてきたのである。そういう人たちがいなければ、我々はまだ石器時代に生活していたことであろう。強者がいなければ、弱者の面倒は誰が見ることができるというのか。成功する者を押さえ込むことは、援助を必要とする人々を罰するに等しい」

「嫉妬は危険で、破壊的で、分裂を生む感情である。それは働く人々を階級闘争のドグマへと導く。労働党内のマルクス主義者たちは、階級闘争は正義であるのみならず、必要であり、かつ必然であると説いている。しかし、この人たちは、人種間の憎悪はいけないと言っている。人種間の憎悪が悪いのに、なぜ階級間の憎悪をかきたてることは善なのか。皮膚の色の違いによる憎悪は犯罪的なのに、地位の違いによる憎悪はなぜ立派なことなのか。保守党も間違いを犯すことはあろうが、決して憎悪を鼓吹することはしない。保守党は嫉妬の政党ではないのである」

「倹約する者の邪魔をすることによって繁栄をもたらすことはできない」

「強者を弱くすることによって弱者を強くすることはできない」

「給料を払う者を潰すことによって給料をもらう者を助けることにはならない」

「階級間の憎悪を煽ることによって兄弟愛を増すことはできない」

「金持ちを潰すことによって貧乏人を助けることはできない」

「確固たる安全を借金の上に築くわけにはいかない」

「稼ぐよりも使うことを多くすることによって窮地を脱することはできない」

「人の自発性や創造性を奪うことによって、人格や勇気を涵養することはできない」

「その人が自分でできること、また自分でやるべきことを、その人に代わってやってあげても、恒久的な助けにはならない」

「われわれの目的とするところは、稀に見る無能な現政府(キャラハン労働党内閣)を政権の座から追い出すだけではありません。労働党は社会主義を拡大するために存在しているわけですが、その社会主義の誤謬を、そうです、社会主義の全誤謬を破壊することがわれわれの目的なのです。そうしなければ、労働党の支持者たちは、労働党の失敗の事実をつきつけられるたびに、いつもすぐ言うように『社会主義の教義は依然として真理なのだが、その実行の仕方がまずかっただけなのさ』と言うことでありましょう」

以上、「サッチャリズムの勝利」(渡部昇一;中央公論昭和63年7月号)から

今、「サッチャー女史の最大の功績は、英国労働党にブレア党首を生み、労働党を蘇らせたことにある」と逆説的に語られるのももっともだという気がしています。


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